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1. 依然として続く閉塞感の中で
5月の(Web Master
注:2002年)景気底入れ宣言以降、米国経済の落込みもあって、8月の月例報告でも「依然厳しい状況にある」として、出口の見えない閉塞感が続いています。身近な歴史を振り返ってみると、先人の歩みはわれわれのこうした閉塞した気分に爽快さと勇気を与えてくれます。
たとえば、明治以降の須坂製糸業には解決の糸口に至るヒントがたくさん隠されています。長野県の製糸業は、18世紀にさかのぼり、須坂、岡谷、上田、佐久などで明治維新後急速に発展しました。特に、須坂では、当時先進地であった群馬県、福島県、県内の他地域にない経営組織を作ることで飛躍的な発展をとげました。その背景は、19世紀中ごろから微粒子病という蚕の病気が流行し、イタリア・フランスなどの生糸生産国が大打撃を受けたという事情があります。
このチャンスを活かすには新しい市場を獲得するための仕組み作りと品質の管理がどうしても必要でした。そこで品質管理の最終工程である生糸の揚返し(小枠の生糸を集めて大枠に巻き取る工程)と生糸の販売を共同で行うトラストを全国に先駆けて明治8年に結成。これが飛躍的な発展の原動力となりました。その経営組織が「東行社」というトラスト組織です。
2.「東行社」に代表されるトラストの役割
では、須坂ではじめて結成された東行社はどのような役割を果たしたのでしょうか。
第1に、小規模な製糸業者が共同することで、大口にまとめて出荷することが可能となったことです。国際商品としての生糸は、1俵(100斤・60?)を生産単位としていたので、零細な製糸業者では商品化できず、それまでは地元の問屋・商社に支配されていました。また、共同化によって光沢、糸目などの検査を経ることが可能になり、品質を5つの等級(金星、銀星、朱星、別星、牡丹)に分けて、上位の金・銀・朱の3等級を輸出向けとしました。これは現代の企業経営でいえば製品開発・品質管理の徹底に相当するでしょう。
第2に、リスクの分散に大きな力を発揮したことです。製糸業は「生死業」の字がしばしば当てられたように、糸価の高値による大儲けと暴落による大損とは生死を分けるほど大きく、安定的な生糸の供給を妨げてきました。トラストを結成することによって損失を加盟社員に分割して痛手を軽くし、倒産の危機から逃れることができたのです。
第3に、トラストの形成によって資金の融通が容易に受けられるようになったこと、また、女工の募集・採用の効率化がはかられたことです。これによって、原料繭の購入資金・設備資金やそれに見合う労働力などが確保でき、一つの企業体に見立てた中長期的な経営が可能になりました。
第4に、独自の販路構築に道を開いたことです。当時は小口の生糸を集めて横浜の生糸商社に売り渡す産地の問屋が大きな力を持っていました。しかし、一定の需要を安定的に確保できるようになると、産地問屋を経なくても海外輸出の道を独自で開くことが可能になったのです。日本の生糸は主にロンドン市場に送られ、ここから欧州諸国・米国に再輸出されていました。東行社は西回りのロンドン経由ではなく、東方のニューヨーク市場へ直接輸出を選択したのです。東行社という社名は東方の米国に行くこと意味しています。開国間もない明治8年、リスクを負ってでも新しい市場を開拓しようという須坂製糸業者の強い意気込みと高い志がその社名から伝わってきます。
3.トラスト組織によるリスク管理とマーケティング
こうしてみると、東行社のトラスト組織は一方でリスクを分散させながら、新たな市場開拓に伴うリスクはしっかりと引き受けています。資金面や労務管理面で小規模企業の陥りやすい弱点をカバーしながら、スピードと小さいがゆえの結束力という利点を生かして、柔軟な経営に仕立てていることがわかります。小規模な企業が厳しい競争と不確実な将来に挑むとき、1社では限界のある取り組みも複数の企業・地域全体の力を結集することで乗り切ることが可能です。異業種交流や産官学の連携などの協力体制を超えた、一歩進んだトラストのあり方を実現することによって、地域産業の活力を取り戻す道が切り開かれるのではないでしょうか。いい製品やサービスを誰に提供するのか、その市場を開拓するにあたってのリスクを誰が引き受けるのか、身近な歴史はわれわれに多くのことを語ってくれているような気がします。
長野経済研究所の平尾調査部長
『経済月報』2002年9月号
「製糸業勃興期の企業経営に学ぶ」より転載させて頂きました。
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